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「若者の○○離れ」は「中年の昭和離れ」が出来ていないが故の戯言である件

2013.10.09

今さらこんな話題について書くのもナンですが。

たまたま目にしたあるレポートの内容にブッ飛んだので思わず殴り書きしてしようとしてるんですが、書く前から反省しときます。

件のレポートとは、公益財団法人国際交通安全学会という機関の論説記事?か何からしい。

「若者のクルマ離れ」に関する現状分析と打開可能性

一年ちょっと前の古いレポートで失礼。

私の認識では、今の若者はクルマから離れたわけではなく、そもそもハナから欲しいと思っていないことが彼らには大問題なわけであるから、「離れ」ってのはおかしい。

まあ、こういう意見は若者サイドからさんざん言われてきたと思うんですが、このあたりが真実なのかなと思います。私も(若者ではありませんが)、出来ることならクルマを持たない生活がしたいといつも思ってます。

ちなみに私の住んでいるような地方では公共交通機関がアレなので、成人したらまずクルマが必要になるという状況は今も昔も変わらないはずです。したがって、地方においてはクルマ離れというのは、「所有はしているが、買い替えサイクルが長期化している」とか、まあそんなとこなのかなぁという認識です。

んで結局、「○○離れ」ってのは、ソレを言ってる側、つまり「離れられて」しまった商品の売り手側のお偉いさんが、昭和の高度成長期だかバブル期だかの頭を捨てることができない故に出てくるトンチンカンな発想なわけでしょ。←とずーっと思ってたんですけど、上記の資料がまさにこれを裏付ける見事なブッ飛びっぷりでたまげたって話なんです。

読むのめんどくさいと思うので概略を書くと、

(1)若者が離れてるのは何も車だけではなく、全体的な「消費離れ」で、それを語る上でのキーワードは「草食系」に尽きる (えっ??)

(2)「認知的不協和理論(なんじゃそれ)」で説明すると、若者も本当はスポーツカーに乗りたいのだが、経済的に不安定だから「いや別にいらねーし」と逃げているだけ。 (ま、まじで??)

(とどめ)引用です。

これまで認知的不協和理論を援用して、以下のよ
うな解釈をしてきた。
スポーツカーを所有できない現実を前に、現代若者の心の中でクルマへの関心の抑圧・忘却が起きた結果、クルマ離れという極端な現象が表出している。

そして、超低価格スポーツカーの投入や税制改革などで「所有できない現実」を「所有できる」に変えられた時にはじめて認知的不協和の罠が解けて、10年前の若者なら普通に持っていたはずのクルマへの関心、すなわち「手が届く格好良いスポーツカーに
乗りたい」という関心が自然と蘇るはずだ。

まあ、あながち間違いとも言えない部分もあるとは思うんですけど、これを書いた人が本気でこう思ってるとすれば、「いい加減に昭和離れしなさい!」って怒られると思うんですよね・・・。自動車メーカー自身はもっと現実的に考えてるはず。

このレポートの発行元は交通安全学会とかいう団体なんですが、クルマが減るのは歓迎しないのかなぁ・・・なんて。まあ皮肉ですが。

まあ出生率が2とかまで回復する見込みはないんだし、長期的に見ると日本の若者がクルマを欲しがるようになったとしても、自動車産業は海外での競争力を付けないとヤバいという現実はおそらく変わらないでしょう。

また、人口が減るってことは都市部への人口集中が進む、すなわち公共交通機関の整った都市の人口比率が高まるはずなので、どのみちメーカーは日本の若者には期待してないんじゃないかなぁjk・・・。

話は変わりますが、これまで大阪で6年、首都圏で6年ほど生活したのですが、都会の人はよく歩く。足腰が強い。ほんとに実感しました。

赤坂見附と永田町は乗り換え的には同じ駅扱いだが、アレは田舎的にはありえない。

大江戸線なんて全般的に狂ってるとしか思えない。

個人的には、ガラスの腰ではありますが歩くのは好きなので、東京生活では上野から神田や秋葉原あたりまではよく歩いて出かけてました。地元に帰ってきたときに「最寄のコンビニまでは絶対クルマを使わないぞ」と固く誓ったわけですが、そもそも運転が好きでもないので、今のところは少々の距離は歩く生活を維持できてます。

ちなみに私の地元では、100m先のコンビニに行くにもクルマ移動、これ常識。

まあ話は逸れましたが、とにかく年寄り連中が「思考の昭和離れ」をしない限り、これからの時代を行きぬく良い戦略なんてーのは出てこないと思う、そういうことを言いたかっただけでした。おしまい。

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